事前にレーシックで使用可能な給付金を確認しておきましょう
事前にレーシックで使用可能な給付金を確認しておきましょうブログ:23 11 20
もともと料理屋に生まれたわたしは、
幼い頃から出前やら洗い場やら手伝いを強いられました。
遊びたい盛りなので、
その頃はイヤでイヤで仕方なかった記憶があります。
勉強嫌いなわたしが試験前に珍しくやる気を出すと、
決まって出前の注文がきたものです。
文句を言っても、
普段から勉強していないためそれも通じず、
泣く泣く出前に行かされる羽目になりました。
とにかくパパもお母さんも忙しくて、
暖かいご飯を食べることも、
家族そろって夕方食を囲むことも、
正月くらいしか記憶にありません。
学校の弁当は
いつも自分で前の日の残りものと
冷やご飯を詰めて持って行きました。
料理屋は表から見れば、
綺麗な料理を作る綺麗な仕事かもしれませんが、
裏から見れば休みもなく、とにかく下仕事が多くて辛い仕事…
わたしはそれが身にしみていたので、
大学を出るまで親の店を継ぐなんてことは考えもしませんでした。
ただ、
嫌々ながらも料理の手伝いはしていましたから、
「うまい」「まずい」は肉体が自然に覚えました。
家では手の空いた者からご飯をとるというのが当たり前で、
時には刺身の切れ端や料理の残りものもありましたが、
大半はご飯とおしんこと味噌汁だけでした。
でも、それで十分でした。
漬物はそれだけでご飯をおいしくいただけるすぐれもの。
今でも漬物だけはおいしいものを食べたいと思います。
糠床を毎日かきまわしていくうちに
何となくコツがわかってきます。
ご飯をおいしく炊いて、おしんこをおいしく漬けられれば、
たいていの料理はおいしく作れるんじゃないでしょうか?